本日もブログをご覧頂き、有難うございます。
本日は、学問的に少し「路線」を外れます。
何故、普通の人が「神様」を祀り上げるのかです。
何故、正月の時に神社へ人が殺到するのでしょう。
お寺も同じ事が言えます。
私達という人間は「権威」に負かされます
この「権威」ですが、人間は「権威」の前では頭を下げる傾向があります。
何故と言われても、そうしてしまうのです。
この世界において、最も「権威」のある存在が「神様」です。
何故、これほどの「権威」を「神様」が持っているかと言えば、それは次の答えを持っているからです。
神様は最強の「コミュニケーター」なのです。
私達が、会社の社長へ頭が上がらないのは、社長に「権威」があるからです。
そして私達は同時に、私達が社長へ「頭が上がらない」と言う事は、そこに「信頼」があるのです。
この「信頼」と言うのは、私達の生活に関わる「信頼」の事です。
この「信頼」がなければ、「権威」は存在しないのです。
「権威」とは「信頼」がなければなりません。
この最強の「信頼」を持っているのが「神様」です。
「教祖に権威がるのは、この理由です。」
あらゆる宗教の教祖には「権威」があります。
何故、彼らには「権威」があるのでしょうか。
その答えはズバリです。
彼らが優れた「コミュニケーター」だからです。
「権威」を持つ者とは、この「コミュニケーター」なのです。
「コミュニケーター」には「信頼」が付きまといます。
この「信頼」に群がる人達が作り上げるのが、「権威」です。
「権威」を持つ者とは、つまり「コミュニケーター」なのです。
それも「飛び級」の「コミュニケーター」なのです。
「故に神様は最強の権威を持っているのです」
普通の人が正月になると、とりあえず神社に足を運ぶ理由はここにあります。
正月という日常の中で、「お賽銭」という行為を行わせる「信頼」を持っているのが、この「力」です。
- 「何か、夢が叶いますように」
- 「美味しい物が沢山食べれますように」
- 「今年一年、健康で過ごせますように」
願いは様々ですが、万人の要求に答えてくれるかのような「力」があります。
この「権威」の前に、普通の人は「神様」を祀り上げてしまうのです。
「困ってしまうのが変なスプリチュアル系」
私は「変なスプリチュアル系」が嫌いです。
彼らには「生気」が感じられません。
これは「権威者」に「食い物」にされている状態です。
礼儀はなく、変な人形のようです。
こうならない為に、前日に投稿しました「魂体」を鍛える事が非常に大切です。
どうやって鍛えるか。
これはブログ内に「カテゴリ」を作りまして、しっかり組み立てて行くつもりでおります。
まぁ、真剣にならずに「楽しく」。
「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ」
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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