さて、「あるある」系の疑問ですが、「お守り」を複数持ち歩いて良いかどうかです。
「いわゆる、神様はケンカしないから問題ないというご意見」
私は、常に「お守り」は持ち歩いています。
その理由は「ご縁」であるからです。
間違いなく、私達の「ご縁」が「そのお守り」を持たせています。
そんな「お守り」を「ケチ」に扱う事はできません。
ただ、「お守り」に「相性」はあると感じています。(あくまで私はです。)
まず、「あなた様」が「お守り」を複数持つ際に、「何となく嫌な感じがする」と感じたら、それは控えるのが良いと思います。
「お守り」という「ご縁」を「ナメ」てはいけません。
ネットで「神様はケンカしないから問題ない」と書かれていても、「あなた様」が「気分が良くない」と感じたら、それは良くないのです。
そう感じたら、持つことを控える事です。
「神社で体調が悪くなるのは、体内の悪いエネルギーが出るから」
こんな情報もネットで見かけますが、いやいや。
全てそんな訳がありません。
悪い雰囲気は、つまり悪いのです。
本当に悪いものは悪いです。いや、合わないと表現します。
私は「お守り」で悪い思いをした事はあります。
たぶん、別の妙なものと同調したのです。
それでも持ち続けていましたが、処分する事にしました。
処分しましたら、本当に「付き物」がとれた気持ちでした。
神社で体調が悪くなるのも、お守りで体調が悪くなるのも、そうした物は近づかない、処分する事です。
私が感じるお守り
私も複数のお守りを持ち歩いています。
たまに「勾玉」も持ち歩いています。
「勾玉」が苦手な方もいらっしゃると思いますが、私は「勾玉」は好きです。
ただし「産地」で選びますし、今は「翡翠」を選んでいません。
これは「ご縁」による関係です。
今の私には、今の「私用」の「物」に引きつけられています。
こうした「お守り」は、それぞれ「個性」があります。
ここが大切なところですが、私が「お守り」を持つ際には、確実に「守られている」事を実感します。
当たり前だろう!!
そう思われるかもしれませんが、そうではありません。
以前は「お守り」は「人間を縛り上げるような感覚」であると感じた事がありました。
これは「自由を奪われる」という表現になります。
神社や仏閣の「お守り」なんて「ヤバイ」品物だとも思った事があります。
しかし、現在はそうではありません。
「お守り」はしっかり「魂体」に重なっている
以前に投稿しました「魂体」ですが、ここに重なって助けてくれている気がします。
何故かと言いますと、「お守りを持っている時の人格」と「お守りを持たない人格」の視野が違うのです。
おそらく、普通に社会生活を過ごして、他者に接している「わずかなポイント」も違うはずです。
つまり「救われている」のです。
故に、私は「お守り」を複数手に取って、気分が優れないのであれば、持ち歩きません。
そのお守りは、家に置いておきます。
「お守り」は人を守る物です。
それを持っている事が「シンクロ」しているのです。
この「シンクロ」する状態、つまり「複数」と「シンクロ」する気分の際に、それが「嫌」や「良い」かが現れます。
この辺は、あくまで私的な感想です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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