本日もブログをご覧頂き、有難うございます。
さて、本日は「神事を体感する素体」という題名でお話を進めたいと思います。
ざっと、のご説明です。
(参考書籍 「鉄布衫功」 謝 明 徳 著 P4)
私は、別ブログでは「科学に根差した視点」で文章を取りまとめておりますが、今、私が文章にしている事も真実です。
私達の体は「肉体」に包まれていますが、この「肉体」とは別に「気の体」が存在しています。
魂体「アストラル体」の目覚め
少しオカルトな言葉ですが「アストラル体」と呼ばれる「魂体」があります。
この「魂体」が強くなると、意外と「外界」の事が良く解るようになります。
例えば、「あの神社は不吉だ」とか、「何者かがいるな」という事を普通に感じ取る事ができます。
(参考図 「あなたを変える夢見術入門」 高藤 聡一郎 著 P229)
こうした「魂体」については「ヨガ」や「気功」を行う方なら解ると思います。
つまり「普通」なのです。
普通であるので、特に「難しい修行」も必要はありません。
今後、少なからず「六字決」「 小周天」「 大周天」などの気功体操を交えながら、この部分の感覚も、文章に展開してゆきたいと思います。
自然と一体である事を理解する事が大切
これが非常に大切な事です。
私達の周囲にある、全ての存在は「魂」を持っています。
私が展開する感覚は「素粒子」にも「ある」という事です。
この「気持ち」は本当に大切です。
前回の投稿で「世界は楽しみに満ち溢れている」という感覚も、この「自然」を慈しむ「魂」の「あらわれ」が可能にします。
感謝の気持ちで生活する事が大切
世の中、本当にフザケタ事ばかりで腹が立つ事でしょう。
その気持ち、痛いほどよく解ります。
ただ、「わたくしたち」という「個体」が「感謝」という「接着剤」を疎かにすると、この「世の中」が乱れます。
それは「五徳」を失う事です。
人は「恨み」を持ち、そして「恨み」を抱え込んで「病」になったり、「恨み」が原因で「ケンカ」になったり、つまり「争い」が常に絶えません。
本当に「感謝の念」を持つ人間とは、そのような状態の時に何を想うでしょうか。
私なら、やり返します。
ただし、この「やり返す」は「自然」と一体化した感覚で行います。
言葉にすると難しいのですが、「感謝の念」を乱される「素気?」を相手に返します。
キリストが「嫌な事は神に返す」と言った?のと同じような感覚です。
この場合、「怒り」の元を「神」ではなく、相手にお返しします。
そうすれば、相手も納まるでしょう。(たぶん)
つまり、自分がクリアでいる事が大切なのです。
「魂体」を理解して、自然と一体である事を大切にして、感謝を持って生きていれば、まず「神事」に触れる気がしてきます。(私はです。)
その際たるが「不動明王」や「シヴァ神」などと一体化した感覚です。
例え、「幻想」であろうとも、人々の信仰の中にある「神々」は「宿る」という事です。
よく、ネットで見かける「人達」です。
ただ、何と言われようと、確かに彼らは「イメージ=個体」が出来がります。
雰囲気が違います。
話しが脱線してしまいましたが、つまり「クリア」でいる事が、本当に大切です。
クリアでないと、「自他との区別」が付かなくなるのです。
つまり「ご守護」の感覚と「自分」の感覚が見えなくなるのです。
と、いう訳で、まずは「素体」について語らせて頂きました。
何となく・・・お付き合い下さいませ。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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