「天津祝詞」について感じる体感

こんにちは。


本日もブログをご覧頂き有難うございます。


本日は「天津祝詞」について投稿したいと思います。




私の主体ブログである「言葉と思想に感謝!まるすのブログ 」から「天津祝詞」の投稿経由でご覧頂いた方がいらっしゃいました。



大変に感謝致します。



私は「神社」を大切に思っております。


このブログでも取り上げましたが、確かに「如何わしい存在」も神社にあるでしょう。


少なからず、私も「心に入り込まれないよう」に気を付けています。


なら、やばいだろう


人体に「気」が巡っていれば、心配ありません。


心が弱りきって、判断も「もうろう」で、博打や宝くじやスクラッチ感覚で「富をくれや」と言う感覚だと、たぶんやられます。

もしくは「占い大好き脳」や「占い大好視野」でもやられます。




つまり、「奉る(たてまつる)」が大切なのです。


この時、神だけでなく「自身」も存在している事になります。



「天津祝詞」について感じる事


すでに「天津祝詞」については、ある程度調査した結果を、「言葉と思想に感謝!まるすのブログ 」では投稿しているつもりです。

http://mahakara.blogspot.jp/2014/11/blog-post_16.html



このブログ内で少しだけ触れた事があるのですが、私達は「祓う事」と「お願い事」は同じくらい大切だと言うことです。


「天津祝詞」について、本当に感じる事は「祓う事」です。


そりゃ、「大祓祝詞」を祝るのと比べたら、感じ入る「祓い」は違いますが、ズバリ「祓う事」を感じます。


パワーストーンの浄化の為に「セドナ産ホワイトセージ 葉」を使った事のある方なら解ると思いますが、「祓う事」と言うのは、本当に「ゼロ」になるような感じですよね。


その存在が持っている「もろもろのまがことつみけがれ」が、本当に消えてゆく感じを受けます。


そして、浄化された「自身」を感じます。


大切な事は、理解する事


私は、大切な事は「時空」を越えて「理解」をする事であると感じています。


「時空」というのは「時間」と「空間」を合体させて言葉にしている事ですが、それはあくまで「人の脳」が判断しているだけです。


私達の「心」は、その「時空」を超えて「感謝」や「感動」を共有できます。


例えば、今から70年前の戦争当時の状況を、ある程度は感じ取る事が出来ます。


まったく過去の世界を、おおよそ理解する事ができます。

爆弾で悲惨な思いをした方々の苦悩を理解する事ができます。



もっと前の「明治維新」の頃も、何となく理解する事ができます。

その当時の状況下の方々の心情を理解する事ができます。



日本の過去より受け継がれる、「自然崇拝」や「人々を敬う」という気持ちは、変わる事がありません。


それを受け継いでいる私達であるから、「天津祝詞」を体感して、そして理解する事ができるのでしょう。


その「天津祝詞」が発する「振動」は、「時空」を超えています。


私達も「時空」を超えて対応が出来ます。

だから、現在も受け継がれているのです。


大切な事は、理解する事であり、それを受け入れる事です。

その時に、あなたにしか感じ得ない「利徳」が生まれるのです。


今回は以上にしたいと思います。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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