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本日は「神道の神」と「仏教の神」のどちらが上だったか」について投稿したいと思います。
photo credit: wallyg Nikkō: Rinnō-ji - Sanbutsudō - Three Buddhas via photopin (license)
初めは同列だった関係
6世紀頃の日本において、仏教と呼ばれる宗教はすでに存在していました。
蘇我氏と言われる「仏教推進派」の方が現れ、聖徳太子が仏教を保護してゆく歴史の流れが生まれました。
そうしますと、日本には「神道」と「仏教」の2つの宗教が大きく立ち並んでいる状態が続きます。
「神道」と「仏教」が融合し始める
だんだんと、「神道」と「仏教」が融合し始める傾向が出てきます。
おそらく、この頃より「儀式的な意味合い」の「神道」が形づけられたのかもしれません。
「仏教」における「教義」というものが、まったく「神道」にはありませんでした。
「神」における立場の関係や、形式的な神々の存在を明確化、儀式や教義の明確化など、「神道」は「仏教」に感化された部分が出てきます。
ここに「神仏習合」が生まれます。
「本地垂迹説」の誕生
日本においては「神道」と「仏教」は「神仏習合」として扱われ始めましたが、ついに立場の逆転が始まります。
日本では古来より「天照大御神」という太陽神がおられます。
現在の日本の神棚に、必ず祀られる神様です。
ところが、仏教において、この「天照大御神」と意味合いが重なる神様がおられます。
それが「大日如来」です。
「大日如来」もまた、「太陽」を司る神様であります。
そうしますと、「太陽」を司る「神様」が2つ存在する事になります。
そこで、次のような思想が生まれるのです。
「神道」の「天照大御神」の本来のお姿は「仏教」の「大日如来」なんだ。
現在の日本人にはビックリですが、こうした「日本の神々」の本来の姿は「仏教の神様」であるという思想が生まれます。
「神道の神」と「仏教の神」の立場が逆転してしまいます。
これが「本地垂迹説」と呼ばれるものです。
最も日本の各地で解りやすい説明としては「素戔嗚尊」です。
「天皇様」として親しまれてきた神社が日本の各地にありますが、現在、この「天皇様」には「素戔嗚尊」が祀られています。
「素戔嗚尊」は「祇園精舎の守護神である牛頭天王」の別の姿としての側面もありました。
つまり、「仏の神」の変化として「日本の神」が姿を現しているという展開が生まれたのです。
建築物も影響を受けてゆく
いかにも「お屋敷」のような「社(やしろ)」が生まれ始めます。
これも「神仏習合」に影響です。
明らかに「神道」からは想像できない状態が生まれてゆきます。
しかし、明治時代に入ると、神社より仏教の概念が取り払われる事になります。
これが正解であるか不正解であるかは判断が出来ませんが、こうして約百数年しか経過していないのが現在です。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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