直感力で世界を生きる事は危険です

こんにちは。


本日もブログをご覧頂き有難うございます。


本日は「直感」について投稿したいと思います。






このブログタイトルですが「神事(かみごと)」は、「万物の世」と理解し合う、関わり合うという意味で付けました。


そこにはもちろん、一般的に「神様」と呼ばれる存在とのコンタクトや、もしくは「私達が快適に過ごす為の力」としての「直観力」が必要かもしれません。


ネットでは大半が「直感力」を指示している



私が不自然に感じるのは、「直観力」を疑う記事が、ネット上では見受けられない事です。



確かに、「直観力」は人間の機能のひとつです。


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この図を見て頂くと理解しやすいのですが、「直感」と言う「力」は、どちらかと言いますと「サブ機能」です。


人間の主機能は「思考」と「感情」です。


この「思考」と「感情」を軽視すると、とんでもない事が発生します。



社会から排除され始める



私は、まさにこれを経験しました。


「直感」が生きて来ますと、「思考」や「感情」より「優位」に働き始めました。


すると、確かに「物事」に対する「取扱い」が優位に働くのですが、人間の社会では、これは上手く行きません。



「私が話す内容を、他者はまったく理解しません」




私が考える事を、他者は受け入れません。


「直観力」などの能力が上がれば、それだけ他者との距離が生まれました。


これは、人間の主たる機能が「思考」と「感情」だからです。



「思考」と「感情」を無視したら、大変な事になる



私達の世界は、太古の昔から「直感」だけに頼った生活なんて、間違ってもしていません。


現在と変わりなく、「言葉」を通じて「思考」と「感情」を交えて社会を形成してきました。


まず間違いなく、今後、人類が消滅するまで、この流れは変化しないでしょう。



私達が目にする「キリスト教的な儀礼」も「仏教的な儀礼」も、「直感」だけにより確立はしていません。


人間の営みの中で「確立」された世界です。


それは、この図が基本となっています。


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つまり、直観力だけに頼る事は危険です。



相互作用。


私達の感覚は「相互作用」なのです。


「直観力」が秀でれば、「感性」が弱くなります。


「感性」が強まれば、「直観力」が陰に追いやられます。


その間、「思考」と「感情」は置き去りでは、やはり「バランス」が崩れます。




私達の基本は「思考」と「感情」です。


その「補佐」として「直感」と「感性」があります。



それ故に、「思考」と「感情」が成熟すれば「直観力」も向上します。

この成熟の結果に見られる「直感力」とのお付き合いが大切です。



私は、このブログをご覧頂いている「あなた様」には、この「直観力」をお知らせしたいのです。


この「直観力」が、本来の、人間が自然として扱い、社会と共存できる「直観力」なのです。





今回は以上にしたいと思います。


最後までお付き合いいただき、有難うございました。

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