本日もブログをご覧頂き有難うございます。
本日は「絵画の浄化力」について投稿したいと思います。
photo credit: f_snarfel Tiziano Vecellio, Flora via photopin (license)
私は「絵画」を見る事が良くあります。
これは「知ったかぶりの優越感」ではなく、もしくは「時間つぶしの場所」という訳ではありません。
私の場合、「洋楽」が好きな事もあるせいか、「西洋の絵画」に気持ちが向いてしまいます。
こうした「絵画」を見る場合、おおよそ会場では「CD1枚分」の金額の「チェット代金」が必要になりますが、見返りは十分にあります。
「西洋の絵画」は強烈な「真剣さ」が刻み込まれている
これは個人的な意見ですが、日本の「絵画」よりも「真剣さ」が満ち溢れている作品が多いです。
「芸術作品」は「遊び」ではありません。
そして、単に「お金儲け」で描く事もありません。
18世紀のドイツの哲学者である「カント」が、「芸術作品」に対して「遊びではなく真剣さ」があると評価しました。
これまでは、「芸術作品」は「遊び」の側面を見られてきましたが、決してそんな事はありません。
「真剣さ」がなければ時を超えて作品は残らない
特に「ヨーロッパ」で描かれる作品の数々には「個性」があり、強烈な「エネルギー」を感じます。
間違いなく、作者が「命がけ」で「作品」に向かっているはずです。
「いやいや、そんな事は無いよ」
そう言う感じもあるでしょうが、しかし「ベース」は「真剣さ」です。
専門の職人が「魂」を込めて作品に向かい会うよに、「絵画」も「魂」が向けられて作り上げられています。
「真剣さ」によって描かれた「絵画」には、圧倒する浄化力がある
例えば、心が疲れ切った時に「絵画」の群に囲まれると、私達の「気持ち」は一掃されます。
「展覧会」では、幾つもの「絵画」が展示されていますので、その都度に「心」に変化を感じ得ます。
もちろん、芸術作品は「絵画」だけではなく「彫刻」や「建築物」などあります。
ただし、私にとっては「彫刻」よりも「絵画」のほうが「アニメ」っぽくて、解りやすいです。
おそらく、私だけではなく、多くの人も「絵画」のほうが解かりやすいと思います。
日常の魂の置き場所を成長させる「絵画」
これも、私の勝手な意見ですが、「絵画」に関わった事の無かった人が「絵画」を見る機会が増えれば、その方の人格は変化すると思います。
理由は、「絵画」が、すでに「その作者自身」であるからです。
「すごいねー、これ「ゴッホ」だ」
「あ、「ヤン、ファン、エイク」だ」
「おお、「ダビンチ」だ」
人間が「何か」を生み出そうとすると、必ずその方の「アイデンティ」が現れます。
その「アイデンティ」が「絵画」として、それは斬新に表現されるのですから、これはすごい訳です。
しかも、その「アイデンティ」を表現する為には「命がけの真剣さ」が必要です。
だからこそ、「絵画」には強烈な生命が宿る訳です。
その描き出された「強烈な生命」には、強烈な「浄化力」が秘められます。
宗教的な作品に、私達が心を通わせるのは、この点もございます。
photo credit: Fiore S. Barbato Treviso (TV), 2008, Il duomo: l'Annunciazione attribuita a Tiziano. via photopin (license)
以上、今回は「絵画」の浄化力」について投稿させて頂きました。
今回は以上にしたいと思います。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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